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クラブシーンにおけるDJ・VJの役割とは?

クラバーと呼ばれる20代の若者たちを中心とするグループの集まるクラブとは、どのような場であろうか。もちろん、音楽を聴き、酒を飲み、ダンスをする場ということであるが、単にそれだけではない。そのような直接的な娯楽の機能とともに、二次的ではあるが重要な機能が存在する。クラブに訪れる客の立場から考えれば、日常生活から一時脱却し、開放感を味わい、抑圧されたものを発散させるカタルシスの場、一体感や恍惚感を味わうトランスの場、お互いの出会いを求めるコミュニケーションの場ということである。これらが若者たちの求めるクラブの成立要因となると思われる。

このような要因に注目すれば、古くから、人間にとっての音楽とダンスは、宗教的・儀礼的な儀式と関連し、集団をまとめ、ある一定の方向に導くための重要な表現的行為であった。美術も、人類史を通じてそのような場の非日常性や権威を効果的に示すために、建築、絵画、彫刻、舞台、衣装、道具類など、様々なものを生み出してきたといえるだろう。

古来の儀式的な場であれば、牧師やシャーマンなど、集団のなかで選ばれし者が、その場の進行を司り、集団全体を先導していくことになるだろう。実は、今日のクラブシーンは、その状況に類似しているということも指摘できる。この場合、現在のクラブのなかで集団を導いていくのは、いうまでもなくDJである。クラブDJの仕事においては、単に任意の音楽を流して聴かせるということではなく、集まった人々の共有する雰囲気を音楽によって生み出していくこと、人々の意識をよりよい方向に導いていくことが重要な課題となる。ここでは、レコードが精神的な交流の儀式のための道具となるのである。クラバーたちを喜ばせ、踊らせるために連続的にレコードをかけていく作業であるが、その選択の良し悪しがクラブの雰囲気に影響する。DJの音楽的な感性と技術的な能力が問われるのである。

一般的なラジオDJであれば、音楽の紹介者としての役割をもっており、流暢な語り口によって聴衆の知的な興味をそそる内容の情報を提供する場合が多い。一方、クラブDJは、このバーバル(言語的)な役割を大きく捨て去っており、その代わりにノンバーバル(非言語的)な「パフォーマンス」によって情報を体感(ダンス)するように提供している。優れたDJは、既製のレコードを素材にして独自のパフォーマンスを作り上げる。また、サンプリングした様々な音源を自由に「リミックス」(remix 再構築)したり、フィルターをかけたり、スクラッチしたりして新しい音楽を紡ぎ出していく。このような新しい様式の音楽創造によって、クラバーとのインタラクティブな関係を見いだし、自由に踊らせる雰囲気を作るのである。

一方、クラブVJは、映像によってこのような「儀式」の演出を補助的に担当することになる。クラブにVJが誕生する以前には、そこでの視覚的な演出効果といえば、ポスター、フライヤー(チラシ)、照明、そしてファッションであった。特にライブとして重要な照明は、ストロボライトのフラッシュ、ブラックライトの蛍光発光、ミラーボールの反射、各種のカラーライト、レーザー、時にスモークやバブル(シャボン玉)などを伴って担当者がスイッチングによって変化させる演出手段であった。VJはその場にさらなる映像のイリュージョンを持ち込んで、視覚的な演出効果をより一層引き上げることに成功したのである。

映像による演出は、その場の音楽の調子や意味内容にまで対応できる可能性をもっている。また、企画されたパーティーのタイトルやDJの名前、曲名、特定のメッセージなど、様々に文字情報を打ち込んで、提示することができる。この場合も「モーション・タイポグラフィー」といわれるような「動く文字」となっている。また、クラブにおいては、時にダンスコンテストのような身体表現を伴ったイベントも開催されている。このような場合には、音楽に対応するだけではなく、イベントの進行状況に合わせた演出やダンスチーム毎の個別の演出なども可能である。

このようなクラブVJのあり方は、必然的にそこでのパーティーのテーマ、音楽のジャンル(テクノ、ユーロビート、ヒップホップ、トランスなど)、DJのパフォーマンス、一曲一曲の雰囲気や展開に大きく左右されるものであり、いわゆるクラブの「裏方」的な存在として、照明担当と同じような役割として認識されることもあった。しかし、クラブシーンを演出する実験的な表現がなされていることから、近い将来、VJの仕事そのものが、広く芸術的行為として認知され、その作品(パフォーマンス)の鑑賞に興味が注がれることも可能性としては否定できないだろう。

VJ:Dr.KENTA(ドクトル・ケンタ)

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